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建築設計者は誰の味方か

南側に隣接の駐車場に、6階建て長さ80mに及ぶ巨大なマンションが計画され、困っている知人から相談があった。商業地域ということで日影規制のない場所 である。駐車場の持ち主が相続税支払いのために、屋敷林の一部と駐車場を某有名不動産会社に売ったということである。一日中日が当たり、雑木林にはいろんな鳥が集まって鳴き交わしていた環境は一変することになった。戦前の親の代から住み続けてきた知人は隣近所の人たちに呼びかけて反対運動を始めた。住民説 明会が数回開かれたが、デベロッパー側は、建築基準法に適合した合法的な計画であり、容積率いっぱいに建てないと事業として成り立たないという説明をくり返すばかり。結局、個々の住民に対し、日照被害の程度に応じて解決金という名の迷惑料が支払われることになった。区の建築指導課も基準法に適合しているということで建築確認を下ろし、工事が始められた。

これは日照紛争の極めて典型的な経過をたどったケースといえるだろう。デベロッパー側にももちろん設計者がいるはずである。彼らは、安くなったとはいえ、まだ十分高額の土地を購入したデベロッパーの意向のもとで、基準法に定める容積率の限度いっぱいの設計をしたものと思う。可能な範囲で周辺の環境にも一応の気配りもしたことだろう。この設計者を非難できるであろうか。

建築設計者の職業倫理として、依頼主が公共の利益に反する計画を企図した場合には、これにストップをかけるべしという考え方がある。法律に反する場合は論外として、環境を破壊したり、近隣に迷惑をかける場合なども含まれると考えられる。しかしそれが建築主の利益に反する場合には口でいうほど簡単ではない。

弁護士の友人に、このような職業倫理の考え方について意見を聞いたことがある。彼の答えは非常に明快だった。弁護士の倫理は依頼主の利益を守ることである。双方の利害が対立する民事事件において、弁護士は依頼主の利益を守るべく最大限の努力を払う。いずれが正しいかを決めるのは裁判官であって弁護士では ない。したがって、そのような葛藤を感じることは皆無ではないが、まれであるということであった。日照紛争の場合、役所は当事者同士でよく話し合って下さいと言って逃げてしまう場合が多い。周辺住民が反対をし、議会に陳情したりすると、確認を遅らせることはある。ただし行政不服審査で、合法な計画の確認を遅らせる理由は何か、と突っ込まれると弱いのでいずれは確認を下ろす。デベロッパーは時間が惜しいから迷惑料的な意味の解決金を支払うというパターンである。

用途地域制という単一機能の色塗り都市計画によって、古くから住んでいる住民の生活を脅かすことを許容する法律が間違っているという言い方もできる。
こう言ってしまっては身もフタもないが、建築設計者は現行制度のもとではあまりに頼りにならない存在であり、残念ながら個人の倫理観のレベルでは、社会的に大した力を持てない職業である。知人のケースのようなひどい例をなくしていくためには、法律を含む社会制度を変えていかない限り、同じような悲劇が繰り返されると思う。


建築ジャーナル 1999年 5月号

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