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公共意識の希薄化と新しい絆の回復

ユーゴスラビアのコソボ紛争が、ようやく終息に向かって動き出したように見える。アルバニア系住民に対するユーゴ側の迫害を中止させるという名分のもとに行われたNATO(北大西洋条約機構)とアメリカ連合軍による一方的かつ徹底的な地域限定爆撃である。どちらに正義があったのか、あるいは双方に非があるのかはいずれ明らかにされるのであろう。

しかしながら「平和ボケ」と言われる日本に居ながらテレビの爆撃シーンを眺めていると、その悲惨さや理不尽さがさほど身に迫ってこない。むしろ自国の民族同士の争いに外国の軍隊が暴力的に介入することのわかりにくさの方に目がいってしまう。多くの日本人の関心はサッチー・ミッチーの大論争とやらの方に向けられていたようにも見える。日米ガイドラインの制度化や君が代・日の丸の法制化など、自分の国の将来を左右しかねないさまざまな動きに対しても、総じて人々、とりわけ若者達の反応はほとんど見えてこない。

事は国レベルの問題に留まらない。沖縄の基地移転問題に対する本土側の反応の鈍さや、各地の原子力発電所やゴミ処分場計画に対する当該地域外の住民の無関心さなどは、国や地域など、「公共」に対する意識やイメージがどんどん希薄になってきていることの結果であるように思える。かつて1970年代に、若者を中心として、世界各地で同時的に、近代文明総体を問い直す運動が起こったことがある。当時の若者たちは多かれ少なかれ自分の将来の生き方と国の有り様を重ねて考える時期を持ったはずである。そんな時代が幸福であったか不幸であったかは人によって受け止め方が異なるであろうし、そのような運動がその後の時代の流れに何らかの影響を与えたのか否かもよくわからない。ある論者は当時の若者たちを評して、「彼らは国の将来を本気で憂い、論じる最後の世代となるだろう」と言った。結果は、その通りになったようにも見える。

国際的な問題に限らず、国・地域・家族などあらゆる領域において人々の絆や連帯意識が希薄化して見えにくくなっているようにも見える。関係の希薄化は無関心を呼び、一方で個人や限られた仲間内の正義がすべて優先するようになる。利己主義や地域エゴ、民族ナショナリズムや宗教などによる争いが起こり、他方ではアメリカなどの自己流の正義を押しつける、大国主義的介入が幅を利かせる。国際的に見ても日本および日本人の存在感がとりわけ希薄に見えるのはなぜなのだろうか。それは、他国に軍隊を派遣しないからでも、経済力が一時の勢いを失ったからでもないだろう。アメリカ流でもヨーロッパ流でもない日本流の正義(言葉にするとかなりウサン臭いが)や未来に向かっての明確な展望を持ったメッセージが表現されないせいだろう。人が集まって住むための、よりマシな関係のあり方や場所のイメージ、個々人の自由と権利を尊重するための「公共」のあり方など、自然環境の危機を解決する方策とともに、今世界中が模索している課題に対する提言こそ求められているように思う。

安全で快適に住むことのできる街を考え、そんな街づくりに参加したいと考える市民が増えてきている。環境ホルモンや地球温暖化の問題を自分たちの問題として捉え、できることから始めようとしている市民がいる。身近なゴミの問題から人が集まって住むことの意味や「公共」について考えることをしない限り、コソボの問題は地球の反対側のトピックスにしかならないだろう。地球環境の問題は、他人の生存を脅かすことなしに自己の生存を計れないということを明らかにした。共通の危機意識が人々を結びつけるとするならば、地球規模の環境の悪化と危機の進化によってしか、人々は相互の絆を回復し、未来の展望を開くことはできないのだろうか。


建築ジャーナル 1999年 8月号

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2000年2月号
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